公開脱衣野球 その1

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『ピピピピ・・・』目覚まし代わりに使っている携帯電話から、アラームの音が発せられる。

「ん・・・」
もぞもぞと動く気配。
ベッドの上の毛布の塊から、一本の腕が伸ばされた。
その腕は枕元に置いてある携帯電話を掴むと、それを布団の中に引き摺り込む。
(眠いなぁ・・・)
まだ完全に眠気が取れている筈もなく、虚ろな意識のまま、浅人(あさと)はアラームを止めた。
(あー、もう時間かぁ…起きるのだるいなぁ・・・・・ん?)
そこで初めて、浅人は異変に気付く。
(この手・・・誰のだ?)
携帯電話を掴んでいるその指は、明らかに細かった。
意識が朦朧としているためか、事態がはっきり掴められない。
暫く呆けていた浅人だが、布団から顔を出した。
とりあえず体を起こす事にしたようだ。

「う~、寒い・・・・・あれ?」
そこで、第二の不思議発見。
声が変である。
いや、正確に言うと、声が高い。
自分の声はもっと低い、男の声だった筈だ。
これではまるで、女のような───。
「・・・・・・」
妙な違和感がして、浅人はベッドから飛び出した。
そして、すぐさま部屋にある姿見の前に。
それは、予想だにしない形で浅人を驚かす形になった。
「・・・・誰だ?」
そこに立っていたのは、女の子だった。
長く伸びた黒髪。
可愛いが、何処か挑発的な容貌。
二回り近く縮んだ身長。
寝巻はブカブカである。
ふっくらと膨らんだ胸。
きゅっと締まっている腰。
間違いない。
だが、これは・・・。
「・・・女になってる・・・」
衝撃を通り越して、何がなにやら判らなくなっていた。

鏡の前で固まる事数分。
突然扉が開いた。
「浅人、起きてる・・・の?」
いつまでも起きてこない浅人を不思議に思ったのか、母親が入ってきたのだ。
それに反応した浅人は素早く振り向く。
目がばっちり合った。
「・・・あの・・・どちら様でしょうか?」
慌てる、というよりは混乱気味な母の質問。
それに、浅人はどう声を掛けていいか判らなかった。
「・・えっと・・・とりあえず、俺が浅人・・・なんだけど・・・」
しどろもどろ、とは正にこの事だろう。
自分自身でもよく掴めていない状況を、他人にどう説明すればいいのというだ。
「・・・え、浅人?」
見知らぬ女の子の言葉に、我を失いかけてる母親。
「お母さん・・・俺、女になっちゃった・・・」
それが、決定打だったのだろうか。
母親はその場に倒れてしまった。
「あ、お、お母さん!」
浅人は慌てて抱き起こし、自分のベッドに寝かせる。
やけに重く感じるのは、母が重い所為ではない。
(お母さんは気が弱いからなぁ・・・)
等と、呑気な事を考えている暇はなかった。
浅人は再び鏡の前に立った。
そして、そこに映し出されたのは、やはり女子であった。
「嘘だろ・・・漫画やアニメじゃあるまいし」
改めてその姿を観察する。
昨日までのあの筋肉質な自分は何処にも居ず、華奢、とまではいかないが、細い体がそこにある。
それに反発するように、割と大きめな胸が自己主張している。
坊主だった頭には、ともすれば鬱陶しいともとれる程ボリューム感のある髪がある。
よく見ると濃い青色のようだ。
その髪を軽く引っ張ってみると、しっかりと頭にくっついているのか、痛覚を刺激した。
「・・・マジ、なのか・・・」

力無く、その場に座り込んでしまう。
こんな事あり得ない。
では、今のこの状況は何だ?常識なんか通用しない。
夢でもない。
幻覚でもない。
夢であれ。
すぐ治れ。
大丈夫だ、これは只の錯覚だ。
でも、もしこのままだったら?俺はどう生きていけばいいんだ?望んでもいない、頼んでもいない。
何の因果か知らないが、女にされて、俺はどうしていけばいいんだ?驚きは恐怖へと変わっていく・・・と、ここで浅人の頭の中に一つの考えが流れ込んできた。
まさしく電波受信である。
「・・・ひょっとして、これっておいしい?」
そう呟いた瞬間、浅人の中から笑いの衝動がこみ上げてきた。
さっきまでの感情の揺らぎはどこへいったのか。
発想の転換は気分の転換、とでもいうのだろうか。
「クックック・・・この姿のまま登校すれば、あいつ等驚くだろうな・・・。
朝起きたら女になってたなんて、本当にあるとは誰も思わないだろうし・・・」
その姿は、美少女には似合わない程、笑いのオ-ラに包まれていた。
喉を鳴らし不敵に笑っている浅人。
目先の問題など頭の片隅にもなく、未来に起こりうる情景を思い浮かべては、笑い続けているのであった・・・。

 

・・・翌日。
騒がしい喧騒。
浅人が通ってる学校、浅人の教室。
普段と何も変わらない光景。
「しかし、あのアサやんが欠席、ねぇ・・・」
浅人と同じ野球部の沢田は、その不思議について他の友人と語り合っていた。
浅人は所謂スポーツ推薦で入学した人物である。
野球の技術に長け、また同時に野球しかない男。
野球の為に無欠席・無遅刻は当然、野球の為なら風邪を引いてでも登校する馬鹿である。
そんな男が欠席する理由・・・それは果たして何なのか。
沢田は心配よりも興味津々であった。
『キーンコーンカーンコーン・・・』チャイムが鳴った。
それでも、騒がしさは収まらない。
これもまた、いつものことであった。
『ガラッ』
「おら、お前等席につけー」
教室の前の方の扉が開き、その口調とは裏腹に女が入ってきた。
阿笠桜子。
この時間、国語の担当であり、浅人達の担任である。
女教師の一喝で、騒がしかった男女問わずが、各々の席に座っていく。
それを視界に捉えながら扉を閉め、教卓の前に移動する桜子。
「よし、んじゃ今日一発目の授業・・・と言いたいんだが、先にお前等に言うことがある」
号令はかけない主義らしい。
いや、そんな事はどうでもいい。
担任の言葉に教室が少しざわめく。
「あー、静まれ静まれ。昨日休みだった前田だが、実はとんでもない事になってる」
前田とは浅人の苗字である。
そこで、ざわめきの種類が変わった。
関心から不安、疑問に。
「まあ、見てもらえば判るだろう。おーい、前田。入ってくれ」
扉が開かれて、生徒達の視線は『その人』に釘付けになった。
青く、長い髪。
ツインテールにしている。
紺のブレザー。
前を開いているため、やや大きめな胸が強調される形になっている。
その上で、紅いリボンが咲いている。
膝にかかるかかからないか、という長さのスカート。
そして、可愛い。
扉を閉じ、教卓の横に移動する。
生徒達の方を向く美少女。
腰に手を当て、ニカッと笑う。
犬歯が伸びているように見えるのは気のせいだろうか。

「ま、アレだ。見ての通り、前田は女になった」
桜子は頭を掻きながら説明・・・とは程遠い呟きを零した。
やはり、今一度間近で見ても、どうも信じきれないらしい。
「そういう訳だ、皆、ヨロシクッ!」
全員が全員唖然としてる中、やけに可愛くなった浅人の声が教室に響き渡った。

一時間目も終わり、桜子は教科書の類を片付け、出て行った。
「・・・おい、アサやん」
教科書を片付けている浅人の元に、沢田が近寄ってきた。
浅人は顔を上げ、沢田の顔を覗き込む。
「ん、何だ?沢田」
可愛い声。
本当にこの美少女はあの浅人なのだろうか・・・と思う前に、沢田の中に燻りが生まれた。
覗いてくる顔は、やや吊り目だとしても、その辺の女子なんかより断然可愛い。
その声と重なって、その表情は、沢田の中の『何か』の導火線に着火した。
「・・・何だ?固まっちゃって。何か用事があるんじゃないのか?」
次の授業の準備をしながら、浅人は問い掛けた。
浅人にしてみれば、自分に関して質問の嵐が来るのは予想していた。
逆に、クラスメイトは一歩引いて浅人を見ている為、軽い疎外感を感じているのが事実だ。
「あ・・すまん」
浅人に声を掛けられてやっと我に返った沢田。
軽く頭を掻いて気分を切り替える。
「お前、野球部どうするんだ?」
その質問をしたい訳ではなかった。
だがしかし、何故か本来したかった質問は、沢田の中ではどうでも良くなった・・・のかもしれない。
その質問が最初にくるとは思ってなかったのか、一瞬驚いたような表情になる浅人。
しかし、すぐに顔を顰めた。
そんな表情でも、少女の可愛らしさは失われない。

「そこなんだよなぁ・・・やっぱり筋肉や体力も落ちてるし。監督に聞いたら、職員会議で決まるまで出るな、って言われたんだけどなぁ・・・」
その審判には至極不満なのか、眉を寄せたまま続ける浅人。
自分としては、女になった今でも野球自体は出来るだろう、と考えていた。
女が選手をやってはいけない、なんてルールは存在しない。筈である。
「そうか・・・」
沢田の呟き。
そこで、何故か沈黙が降りた。
何となく、お互いに声を掛けづらい感じ。
「・・・ところで、本当にアサやんなのか?どう見ても別人だろ」
沢田の口がやっと事の核心を吐いた。
その言葉に、浅人は「待ってました」と言わんばかりに笑顔を向けて口を開く。
「ああ、マジもマジ。俺も最初は信じれなかったけど、ね」
事実、母親が倒れた後、浅人は自分の体を隅々まで調べた。
本来あるべき男のシンボルは無くなっていて、代わりに豊満な胸と女性器・・・所謂秘所が付いていた。
勿論、浅人も元は男である。
それに深い興味を持ち、一人トイレに走りオナニーをしたりしたが、それはまた別の話である。
「・・・そうか」
確かに、この喋り方は浅人だ。
語ってる訳じゃなさそうだ。
よく考えれば、一介の学生に扮してここに紛れ込む利点なんてどこにも無い。
「何だ、女になったのそんなに不思議か?」
「あ、ああ・・・それは当然だろ」
「だろうな。でも、ま、気分の転換ってヤツだ。何なら、胸揉むか?」
ブレザーを開いて胸を張る。
それだけの動作で、浅人の胸が若干揺れた。
それを見た沢田・・・と周りの男子数名の視線の色が変わった。
ゴクリ、と喉が鳴る。
沢田の中の導火線が、少し縮んだ。

「アサやーーーん!」
突然、けたたましい叫び声と共に扉が開かれた。
その勢いを殺さず、十数名の男子がなだれ込んできた。
他のクラスの野球部員である。
「うおっ、すっげぇ!マジで女になってる!」
「しかも結構可愛いぞ!?うわーすっかり浅人ちゃんじゃん!」
「何でそんなになっちまったんだ?」
疾風怒濤。
男達の波のような質問・戯言に、それまで少し落ち着いていた浅人は圧倒されてしまった。
沢田は反応が遅れ、一気に外野に飛ばされた。
「ちょ、皆落ち着けって」
冷静にさせようと両手を上げて静めるジェスチャーをする浅人。
しかし、そんなの効く筈がない。
山火事に如雨露で水を掛けても意味が無い。
むしろ油を注いだ。
「うわ、声まで女だ!」
「でもお前、部活どうするんだよ?」
「これでエースの座は俺のものだな!」
最後の言葉に、浅人の怒りに火が付いた。
「岸田!今何て言った?」
周りにいる野郎共を軽く押しのけ、浅人は立ち上がった。
男の時の浅人であれば、その威圧感は相当なものだろう。
その辺のヤンキ-なら恐れおののいて逃げ去るくらいだ。
だが、今の浅人は可愛い少女。
そんなか弱い存在に、身長が180近い岸田‐浅人とエース争いしている男‐がうろたえる筈も無い。
「だってそうだろ?こんな可愛らしい浅人ちゃんが、前のお前や俺みたいにできるか?」
頭一つ分低い浅人の顔を見下ろしながらの、あからさまな嘲笑。
岸田という男、実はあまり部の中でもいい印象は受けてない。
腕は確かだが。

そんな表情と感情を目の当たりにして平然としていられる程、『男の』浅人はできた人間ではなかった。
「出来るぜ。やってやるさ」
「へぇ・・・じゃ、ここは一つ勝負といこうじゃないか」
その言葉に、周りの部員がざわつき始める。
それを無視して、岸田は続ける。
「放課後、部活に出ろ。そこで数人の打者を相手に投げな。全員抑えたら、お前をエースと認めてやるよ」
「貴様に認められんでも、俺がエースだ」
怒りの感情をもろにぶつける浅人。
それを容易く受け流し、岸田は続ける。
「その代わり打たれたら・・・そうだな、ユニフォームを脱いでもらおうか。ヒットで一枚、ツーベースで二枚、スリーベースで三枚。そして見事ホームランを打った奴には・・・」
ニヤリ、と岸田が笑う。
厭な笑み。
「一晩、そいつと寝ろ」
「・・・な」
その台詞に、浅人は一瞬固まった。
言葉を理解できなかったからではない。
理解したがため、だ。
先に反応したのは・・・部員達だった。
「公開脱衣野球・・・ってか?」
「面白そうだな、それ!」
「よし、俺、乗った!」
周りで騒ぎ立てる奴等の声で我に返った浅人はもの凄い剣幕で岸田に喰いかかる。
「巫山戯るな!誰がそんな賭けに・・・」
「何だ、逃げるのか?」
あまりにもお約束な台詞だが、今の浅人には十分すぎる効果があった。
「・・・わかった、やってやるよ」

「おい、聞いたか皆!前田浅人は放課後、俺等と勝負する!負けたら服を脱ぐ脱衣勝負だ!逃げたら無条件でこいつは負け犬!エースの資格なんてない、ただの女だ!」
教室一杯に聞こえるように大声で喋る岸田。
浅人の逃げ道を潰すためだろう。
その一言一言が浅人の怒りに拍車を掛ける。
元々、浅人が岸田の事が好きでなかったのもあるだろう。
「じゃ、精々頑張れよ、あ・さ・と・ちゃん♪」
ピン「ひゃっ!?」
岸田は浅人の胸をデコピンの要領で弾いた。
たゆん、と揺れる胸。
突然の刺激に、浅人の体はビクッと竦み、可愛らしい声を上げた。
「ハハッ、そんなんで大丈夫か?ま、期待してんぜ」
また一つ、嘲笑を残し、岸田は立ち去っていく。
「ま、待て!」
真っ赤な顔をした浅人が岸田の背中を追う───と。
『キーンコーンカーンコーン・・・』丁度、タイミングだった。
次の授業が始まる鐘が鳴り響く。
それまでたむろっていた野球部員共も、ニヤニヤと笑いながら退室していく。
その様子を見ながら、沢田は違和感を覚えた。
何かが変だ。
それは、部員達の気配・・・。
「・・浅人・・」
心配になった沢田は浅人に声を掛けた。
浅人の表情は、憤怒であった。

──次の時間から昼休みまで、浅人と沢田の姿は教室には無かった。

 

放課後になった。
生徒達の自由な時間。
浅人は野球部の部室にいた。
自分のサイズに合うユニフォームを探していたのだ。
「・・・ま、これでいいか」
ベルトでやっと止められるくらいのブカブカなズボン。
少し大きめのアンダーシャツに上着。
ズボンの上に出している事に加え、サラシを巻いてるため、胸が強調されないようになっている。
・・・だらしなく見えるが。
以上が、ここで予備の物を漁った結果である。
「よし、行くか」
大きめになった帽子を被り、一年の頃から愛用していた野球バッグを肩に担いで、浅人は部室を出た。

「お。来たぜ」
グラウンドを均していた野球部員の一人が声を上げる。
それを聞いた岸田は、ベンチにある選手用通路の出口を見遣り、笑みを浮かべた。
ベンチに現れたのは、小柄な体には似合わない大きなバッグを担ぎ、深々と帽子を被ったツインテールの少女・・・浅人であった。
岸田はグラウンドを均す道具(トンボという)を横にいた奴に預け、浅人に近寄っていく。
浅人はベンチに座り、バッグの中から二つの袋を取り出した。
その内の一方を開き、中からスパイク靴を取り出し地面に置く。
「よくもまあ、逃げずに来たものだな」
あまりにもお約束な台詞が、この男に良く似合うのは何故だろうか。
浅人が、ベンチに設置されている麦茶を一口飲んだところで、岸田は浅人に声をかけた。
「部活に出るだけだ。野球部員が野球部の活動に出て、何の不思議がある?」
男言葉は、今の浅人にはあまりにも似合わなすぎる。
が、野球のユニフォームを着ている分、まだ説得力はある方ではあるが。

そんな浅人を見て、岸田は笑った。
嘲笑。
厭な笑み。
「一体誰がお前を抱くんだろうなぁ?楽しみだ」
「抱かせねえよ」
空になった紙コップを投げる。
見事にゴミ箱に入ったのを確認してから、浅人は岸田の目を睨みつけた。
「誰にも抱かせねえし、一枚も脱がねえ」
真摯な双眸が、岸田を貫く。
その視線に、岸田の背筋がゾクゾク・・・と震えた。
嘲笑がより深く刻まれる。
「その自信、いつまで保つかな?ま、期待してるよ・・・浅人ちゃん」
相手を見下す厭な笑みを浅人の脳裏に刻みつけ、岸田はグラウンドの整備に戻っていった。
その岸田の背中を見ながら、浅人は何か異様な感覚を憶えていた。
(やつの行動と視線・・・何か引っかかる)
「アサやん」
「ひっ」
思考を巡らしていた為か、突然声を掛けられて体を竦ませる浅人。
急いで振り向くと、「・・・どうした?」
そこには不思議そうな顔をした沢田が立っていた。
浅人と岸田のやりとりを見ていなかったのだろうか。
「あ、ああ、沢田か・・・何の用だ?」
内心の焦りを隠しきれないまま、浅人は曖昧に笑ってみせた。
だが、その笑みは沢田の心を大きく揺さぶるものであった。
いや、決心させるもの、か。
「やっぱり、止めとけ」
「は?」
「こんな賭け、お前がやる必要なんてどこにもないじゃないか。男に戻るまで、部活を休んでろよ。それが駄目ならマネージャーとか・・・兎に角、お前は今野球をやるべきじゃ・・・」

言葉を続けようとした沢田の口が、止まった。
目の前の少女の、その瞳を見た瞬間。
「大丈夫だよ。確かに球速や球威は激減したけど、その代わりに球のキレとコントロールは男の時よりいい。お前も見ただろう?」
浅人は、淡い微笑みを浮かべていた。
それこそ、儚く消えてしまいそうな粉雪の如き。
自信、ではない。
覚悟、でもない。
決意を秘めた双眸。
それを見た瞬間、沢田は何も言えなくなってしまっていた。
何故かは、本人すらわからない。
「俺は負けない。あんな下劣な野郎なんかにはな」
少女の吐く言葉とは思えない乱暴なことばも、今の浅人には十分フィットしていた。
「んじゃ、そろそろ準備でもしましょうかね・・・おーい、種倉ー!」
軽く体を動かしながら、遠くの方を均している少年を呼んだ。
少年はトンボを端に置いて、駆け足で近づいてきた。
野球部の習わし通り、髪型は坊主頭ではあるが、その整った容貌は、誰が見ても美少年である。
種倉。
野球部一年にして、キャッチャーのレギュラーを取った実力者である。
「はい、何でしょう先輩」
「準備するから、ストレッチとか手伝ってくれ」
「了解です」
種倉と共に、外野の端の芝生の方に向かっていく浅人。
種倉は、浅人のお気に入りであった。
今時の若いのとは違い、種倉は素直で、律儀であった。
バッテリー(ピッチャーとキャッチャーの組み合わせの事)だから仲良くしなくてはいけない、ということも無いわけではなかったが、それを抜きにしても、浅人と種倉の仲は良いものであった。
そんな二人の背中を見つめながら、沢田は何を思っているのだろうか。

準備を全て終え、再び浅人と岸田は対峙した。
「ルールは簡単。スタメンの内5人に対して投げろ。打たれた時の罰は朝に言った通りだ。守備は一年生にやらせる。何か聞くことは?」
「特に無い」
素早く切り返すと、浅人はマウンドへ向かった。
その後ろ姿に、岸田の笑みが向けられる。
岸田は──欲情していた。
女になった浅人に。
今だってそう。
何とか抑えられてるようなものの、勃起しているのがばれるのは時間の問題だ。
そんな事など全く知らず、浅人はマウンドに立った。
視線は遥か上、青き空。
準備中の種倉との会話・・・それが浅人の脳内で回り巡る。
『先輩、逃げてください』
『あ?突然どうした
』『岸田の野郎、俺達にエラーしないと酷い目に合わすって脅してるんですよ』
種倉も岸田の事は嫌いらしい。
先輩であるにも関わらず、呼び捨てである。
『そんなんだろうと思ったよ』
『何呑気に言ってるんですか。先輩、もしかしたら・・』
『大丈夫だよ。お前が俺にそれを言ってくれた。それだけで、十分勝機はある』
『・・・先輩・・・』
『そんな顔するなって。俺は負けないよ。あんな奴等に負けてたまるかってんだ』

「そうだ、あんな奴等に」
再び小さく呟いて、浅人は前を向いた。
己の為に戦う戦乙女が、その地に舞い降りた。
「へへ、最初は俺が相手だ」
左のバッターボックスに入った男は、この野球部の一番を任されている男だ。
打率も高く、足も速い。
塁に出れる確率は、五割以上である。
そんな選手を前にしても、浅人の真剣な表情に揺るぎは無かった。
そうでなければ、エース等と名乗れない。

浅人は、男の頃から度胸の据わった人間であった。
些細なことで、その難攻不落の鉄壁は打ち崩せない。
「じゃ、始めろ!」
岸田の号令で、守備に入っていた一年生がそれらしく構えを取る。
しかし、どいつもこいつも芝居である事を、浅人は既に知っていた。
(打たせて取る戦法は殆ど使えない・・・となると、三振だけ・・・後はピッチャーフライと、キャッチャーフライか)
淡々と状況分析を始める浅人。
そして、投球に入る。
腕を高々と振りかぶる、所謂ワインドアップ。
その細い腕から渾身の力を込めて投げられた、その第一球。

カキィィィン

「!」
冷や汗がどっと出る。
「ファールボール」
白球は白線を切り、ファールゾーンへと飛んでいく。
「ふぅ・・・」
命拾いした、という溜息か。
否、計算どおりうまくいったことへの安堵の溜息だ。
浅人はわざとこの打者の好きなコースに球を投げたのだ。
そして、男の時より遅い球に対して打者は振りは早すぎた。
大分前でのミートとなり、結果、打球はファールになるしかなかった。
悔しそうにする打者は、再び構える。
さっきまでのにやけた顔は何処にいったのか、極めて真剣な表情で浅人を睨みつけてくる。
あの程度の球なら次は打つ・・・そう言っているのだろうか。
構わず、浅人の第二球。

白球は、舞った。
「あうと~」
酷くやる気の無い声で、一番打者の死が宣告された。
結果はピッチャーフライ。
浅人は、ストレートの緩急だけで、見事仕留めて見せたのだ。
「あぁ~~~」
落胆の声が球場に木霊する。
この場にいる殆どの人間が、浅人の下着姿、或いはそれ以上を望んでいるようだ。
例外を挙げるとするならば・・・沢田、種倉、そして女子マネージャーくらいか。
「ふぅ」
一旦帽子を取り、額の汗を拭う浅人。
その動作は、何故か少女の可愛らしさを引き出していた。
輝いているからこそ、人は美しいとか綺麗とか思うものなのかもしれない。
次に打席に入ったのは、長身の男。
この高校の四番打者であった。
(げ・・・よりにもよって、こいつか)
この打者の恐ろしさを、浅人は誰よりも知っていた。
どこまでも喰らいつく反射神経。
ホームランは少ないものの、その長打と粘り強さは投手にとってかなり厄介なものである。
この状況にして、いきなりピンチ到来である。
それでも、浅人の瞳の輝きを失わせる事は出来ない。
むしろ、その力強さは増していく。
腕を高く振り上げる。
狙いは内角ぎりぎり、ボールの球になるコース。
白球が浅人の手から離れる。
その球は、種倉のキャッチャーミットに吸い込まれるように───

カキィィィン!

ボールは、ミットに収まる事を拒絶した。
「っ!!」
浅人は咄嗟に体を沈める。
同時にグローブを突き出す根性は、正に投手の性質であろう。
が、今回ばかりはそれが悪い方向に傾く。
『バシッ!』「あうっ!」
四番が打った打球は、物凄い速さで浅人を襲った。
ピッチャーライナーだ。
その打球が、差し出した浅人のグローブに直撃した。
ボールは軌道を変えただけで、そのまま外野、センターとレフトの間に転々と転がっていく。
その間に、打者は一塁を回り二塁へ。
悠々とセーフ。

(ツーベース・・・!)
打たれた。
その事実に浅人は歯を食いしばった。
「あ~さとちゃ~~ん!」
ベンチから声が聞こえる。
愉悦の声。
「さあ、約束通りだ、脱いでもらうぞ~!」
岸田の酷く嬉しそうな声が、浅人の鼓膜を刺激する。
感情がもろに流れ込んでくる。
(クソ・・・!)
浅人はおもむろに帽子を取り、投げ飛ばした。
髪を結わえていたゴムを外し、頭を左右に振る。
ボリュームのある髪がブンブン揺れ、髪が整われていく。
まず、これで一枚。
次にグローブを外して脇に挟み、上着のボタンを外していく。
「おっ」
誰かが声を上げた。
誰もが、いきなり上着を脱ぐとは思ってなかったようだ。
靴下とか、帽子だけでも脱げば上等、と思っていたのだろう。
その光景を見て、岸田の欲情はより一層膨れ上がった。
「そうだ・・・それでこそお前だ、浅人・・・」
最早狂気すらも含んだ彼の瞳。
この時に、誰か一人でも彼を止められていれば、未来は変わったかもしれない。
だが、この時点で止められるのは浅人一人であった。
上着を脱ぎ捨てる。
その下に着ているアンダーシャツは、体の部分は白、肩から手首まで黒い生地で覆われている。
その姿の方が、浅人を美しくさせている。
「さあ、次はどいつだ!」
雄々しく胸を張り、叫ぶ浅人。
自分は男だ。
この柱が折れぬ限り、自分は負けない。
気丈なまでの浅人の態度は、岸田だけでもなく、部員達の心にも火をつけた。
「よし、じゃあ次は俺だ」
バットを持って打席に向かう男。
この打者もまた、打率には自信のある打者であった。

ここで、岸田がベンチから出た。
「そうだ、一つルールに追加しよう」
その言葉に、浅人の眉間に皺が寄る。
「追加?」
「ああ。ランナーがホームベースに戻る数・・・つまり、お前が得点された数だけ、俺らの前でオナニーをしろ。どうだ、面白いだろう?」
両手を広げ、まるで地獄の死者のようないでたちの岸田。
この状況を、心から愉しんでいる。
そんな男を前に、浅人はあくまで気丈に振舞う。
「いいぜ、それで行こう」
こんな事とっとと終わらせる。
打たれなければいいのだ。
浅人はこの時そう考えていた。
岸田がベンチに戻る。
それとほぼ同時に、浅人が構えた。
ランナーがいる時の、セットポジション。
左手・・・グローブを填めてある手の痛みを、意識的に忘れて。
左のバッターボックスに入った男の特性を思い出し、そこに投げようと意識を集中、そして・・・「走ったぁ!」
投げた、と同時に聞こえた種倉の声に、浅人はハッとした。
まさか、この状況で盗塁?打者は打たない。
ボールをキャッチした種倉は、三塁に──投げなかった。
投げれなかった。
その姿を見て、浅人は再びハッとした。
自分と種倉以外は、エラーすることが前提である。
つまり、ランナーをアウトにする事は、事実不可能。
悠々と三塁に走りこむランナーを見て、浅人は歯を食いしばった。
(姑息な・・・!)
だが、それに乗ったのは自分だ。
今更ながら、己の愚かさに気付かされた。
だが、状況はより悪い方向に転がっていく。
浅人の自信を揺さぶる形で。
ボールを手元に戻し、第二球。
そこで、打者は思わぬ行動を取った。
いや、今の状況で一番適切、という方が正しいか。

コン・・・「!?」
バットを横に構えて、来たボールにただ当てるだけ。
当たったボールは勢いが死に、三塁の方に転がっていく。
バントだった。
「チッ!」
舌打ちを残し、浅人はボールの元に走った。
急いでボールを拾う。
そして、そこで丁度ランナーとすれ違う。
(もらった!)
素早く持った手をランナーにつける。
躱す動作は見せたものの、浅人の手にはしっかりと触れた感触。
しかし、それでもランナーは全力で走った。
ホームベースでスライディング。
まるで、タッチされたことなど感じてないように。
そして、それが現実となる。
「セーフ!」
ランナーを迎えたのは、罵倒ではなく賞賛だった。
「な・・・待て、今俺は確かに・・・」
怒りのボルテージが上がり、審判に文句をつけようとした時。
「先輩!」
二塁の方から声。
咄嗟に振り向き、ボールを投げた。
呼ばれたことで、今の状況を速攻で理解した。
バッターが一塁を回り、二塁に走ったのだ。
投げられたボールは上手く二塁手の元に行く。
それをキャッチした一年は、滑り込んでくるランナーに果敢にタッチしていく。
だが。
「セーフ!」
審判の下した宣告は、非情なものであった。
「・・・得点を与えた・・・だって?」

オオオォォォ!!球場が沸いた。
自分らの願望が成就したのだ。
部員一人一人、守備に入っている一年の殆どですら、それを隠さずに咆えたのである。
「ま、待てよ!今のはどちもアウトだろうが!どう見ても!」
浅人は怒りに任せて二塁の審判に食い下がった。
審判といえども部員である。
文句を言ってはいけない理由はない。
「審判は中立なんだよ」
しれっとした態度で受ける二塁の審判。
岸田の根はここまで広がっているのか。
やられた。
完璧に策にはまった。
審判もグルだったなんて。
抗議しても無駄と言うことなのか。
不平は不平ではないのか。
あんな奴等の前で、女として自慰を披露しなければならない。
今更、後悔しても遅かった。
その上、打者は二塁打。
さらに二枚、鎧を剥がなければいけない。
それは、浅人の怒りをより高めた。
そして同時に・・・絶望も。
誰かが言う前に、浅人はグローブを外しアンダーシャツを脱いでいた。
誰かに言われてやるより自分の意志でやる方がまだ救いになる。
そう自分に訴えた。
(・・何の救いだ?)
震える手が、自分のシャツを脱がす。
素肌をさらす・・・白い肌には、豊かな胸を押し潰すようにサラシが巻いてある。
それにも手を掛ける。
今までの気配と一変、球場は静けさに包まれた。
白いブラジャーが露になる。
それと同時に、押さえつけられていた胸が自己主張する。
その全体の美しさに、全員が息を呑んだ。
仲間である、種倉でさえも。
「次は、誰だ?」
消え入りそうな声だった。
ともすれば、震えていたかもしれない。
俯いたまま、前髪でその表情は伺えない。
それで、時は動き始めた。
「じゃあ、俺が」
と、一人の立った、その時。

「ぐあっ!」
呻き声で、浅人は顔を上げた。
そこにいたのは、出ようとしていた打者を引き摺り落とした───「沢田・・・?」
浅人は信じられなかった。
我が目を疑った。
沢田は、あの男だけはこんなゲームに乗らないだろう、そう思っていたのに。
一年の頃から共に努力し、励まし合ってきたあの沢田が、自分をどん底に落とすようなことはしないだろう・・・そう信じていた浅人の精神は、混乱を超えて錯乱状態に陥った。
打席に入る沢田。
その顔に、表情は浮んでいない。
「沢田先輩・・・」
種倉の懇願するような声、どうして貴方が・・・そんな訴えが含まれているのは明らかだ。
沢田は、何も語らない。
ただ上半身が下着姿になった浅人を見つめるだけ。
「・・・信じていたのに」
浅人は小さく呟いた。
立ち直れるか、自分では判断できない。
左手の痛みが、ここぞという時に増してきた。
いや、思い出した、というべきか。
やるしか・・・ないのか。
浅人は構えた。
前髪で視線を隠し、虚ろな心を隠して。
「うあああぁぁぁぁぁ!」
渾身の力を込めて球を放る浅人。
そして───

カキィィィィン・・・

やけに甲高い金属音が球場に響き、白球は綺麗な放物線を描いた・・・。

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